日付が変わったばかりの午前零時八分、東京・深川の本場に「第一弾」が投下された。と、同時にレーダー探知を不能とする無数のアルミ爆弾が空中に舞う。空襲警報が鳴り響いたのは、その七分後だった。米軍機「B29」三二五機の大編隊は、高性能焼夷弾で東京の夜を真っ赤に染め上げた。攻撃が止む午前二時三十分までの「一四九分間」に東京都東部は徹底的に焼き払われた。一〇〇万の人が家を失い、死者は警察庁調査で八万三七九三名、推定では一〇万人を超えた。
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昭和二十(一九四五)年三月十日の「大空襲」で、東京は全面積の三割を焼失。全国で二五の都市が戦災を蒙った。罹災面積は六万四五〇〇ヘクタール。罹災戸数、二七〇万戸。九八〇万人が戦火にあぶられた。そこへ田舎に疎開していた八〇〇万人と海外からの引揚者・復員兵士約六五〇万人が帰ってくる。戦災孤児が巷にあふれ、都会では五人に一人は住居がなかった。不足する住宅の数は、日本全体で四二〇万戸。食糧も、服も、家もない。敗戦後のどん底の廃墟こそが、都市にアパートやマンションなどの集合住宅が造られていく「原点」となった。